2013年6月13日木曜日

制作を終えて

                   有原 誠治 (監督)
すでにご承知と思いますが、私の原爆症認定集団訴訟をテーマにしたドキュメンタリーは今度の「おりづる」で2作目です。

『にんげんをかえせ』から『おりづる』へ
初作品『にんげんをかえせ』の制作は、日本評論社から2011年の8月に刊行された『原爆症認定集団訴訟たたかいの記録』の付録の映像記録DVDとして制作を依頼されたことから始まりました。
その映像素材は、ビデオカメラを手に持って集団訴訟を追いかけた磯部元樹氏の、途方もなく膨大な映像でした。その素材を手にしてから納品までの2ヵ月半、眠る時間を惜しんでは磯部映像と向き合い、「原爆症認定集団訴訟とは?」との疑問を抱きながら、使えそうと思えるシーンを拾っては編集して、構成を考えました。
ところが、集団訴訟の終結にいたるラストの構成は、集団訴訟がほとんど終わりかけているときに参加した私には描けず、全国弁護団連絡会事務局長の宮原哲朗弁護士に相談して、簡単な構成案を書いていただきました。それを参考にしながら、何とか映像作品としてまとめるて、8月の「たたかいの記録」の刊行に間に合わせました。

 そのときに抱いた思いは、名もなき庶民が国を相手にたたかって勝利した事件としては、“忠臣蔵”(事件としての性格は異なりますが)以上に時代を超えて語り継がれるべきだと思ったものです。

被爆してから60年以上を経ても被爆者を苦しめている放射線の影響を司法の場で認めさせ、国のかたくなな“原爆症認定制度”の抜本的改正を約束させたのです。これは、核に汚染された時代に生きる、生ねばならないようになってしまった世界中の人々に知って欲しいたたかいだと思いました。
そんな思いでいるときに、宮原弁護士より、「有原さん、消化不良でしょう。続きをやりますか。」と声をかけていただいたのが、今回の「おりづる」の出発でした。

『おりづる』について

“知らない”ということは、ときとして“強み“となります。「にんげんをかえせ」を制作しながら考えたこと、①被爆者はなぜ60年も経てから集団訴訟に踏み切ったのか。②国の認定制度のどこが問題なのか。③裁判官たちは、原告被爆者たちの訴えをなぜ認めたのか。④裁判官に認めてもらうために、原告や弁護士たちはどんな方法を用いて法廷に臨んだのか。⑤政府は、“全面解決”に応じながら、いまだ原爆症の認定をなぜ渋るのか。⑥集団訴訟は、被爆者外の人々にとってどんな意味があるのか。⑦放射線は、被爆者の体にどんな影響を与えるのか・・・などなどです。これが創作のエネルギーにもなりました。実際、「おりづる」は、そうした疑問に答えられるような構成なっています。
また、長いことアニメーションの世界で働いて来たことが、できるだけ視覚的にわかりやすくすることに、役立ったように思います。具体的には、作品をご覧になってお確かめください。

 「フクシマにつながるものを」との声は、新作に寄せられた大きな期待のひとつでした。福島第一原発事故を知る者として当然の期待で、製作委員会でも議論をしました。私自身、ずいぶん意識をしました。実際、カメラを持って福島の飯館村から南相馬市まで訪問しました。その印象は強烈でした。しかしながら、それは結局、使用しませんでした。私に求められているのは、原爆症認定集団訴訟と日本の被爆行政の実態や問題点を明確にして描くことで、それができれば結果的に「フクシマにつながるもの」となると悟ったからです。ただし、「おりづる」のラストで安斎育郎先生が、集団訴訟の成果を福島の今後に活かすようにと語って下さいました。それで、良かったと思っています。

 それにしても、10年に及ぶ集団訴訟の記録だけでも膨大です。被爆者の生存をかけたたたかいは、被爆の瞬間から始まったといってよいでしょう。おまけに、「原因確率」「DS86」「高度な蓋然性」などというチンプンカンプンな言葉まで飛び交う世界です。ときとして、迷宮に陥ったかの様な気分を味わいました。それをがまん強く支えてくれたのが、製作母体である原爆症認定集団訴訟の記録製作委員会でした。私が拙い知識でアイディアや構成案を出すと、そのまちがいや修正のための議論し、知恵を出し合ってくれました。その集団の力なしに「おりづる」の完成はありえないのは当然です。すばらしい仲間たちとごいっしょに仕事ができたことは私の誇りです。その仲間たちをご紹介します。



           原爆症認定集団訴訟の記録製作委員会
               伊藤 直子  大久保賢一    鹿野 真美  高部 優子
               田部知江子  中川 重徳     宮原 哲朗  有原 誠治

普及にご協力を 
 新作「おりづる」は一応完成をみましたが、世に原爆症認定集団訴訟を伝えたい。「フクシマにつながるたたかい」との思いは、実際に各地で上映されて、DVDなどで普及されなければ達成されません。姉妹作品である「にんげんをかえせ」とともに、全国各地で上映されますようにと、願っています。
 

プロフィール
 
有原 誠治(ありはらせいじ)1948年秋田県生まれ。映画監督。
 アニメーションの監督として東京大空襲で孤児になる少女を描いた『うしろの正面だあれ』(1991 80分)、広島で被爆したサダコを描いた『つるにのって』(1997年 30分)、長崎の被曝医師秋月辰一郎たちの被曝から45日間の奮闘を描いた『NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘』(200580分)などがある。
 ドキュメンタリーには、『原爆症認定集団訴訟の記録 にんげんをかえせ』(80分 2011年) 『山口逸郎80歳の挑戦 平和行進デ~ス!』(27分 2012年) そして今回の『原爆症認定集団訴訟の記録 おりづる』(73分)がある。

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